村田兆治全盛期の球速は何キロ?投球フォームや通算成績もご紹介! | 紆余曲折
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村田兆治全盛期の球速は何キロ?投球フォームや通算成績もご紹介!

村田兆治全盛期の球速は何キロ?投球フォームや通算成績もご紹介! 野球
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今回は、村田兆治全盛期の球速は何キロ?投球フォームや通算成績もご紹介!と題してお届けします。

2022年11月11日、元プロ野球選手の村田兆治さん(元ロッテ・オリオンズ)が自宅の火事により死去されたとの報道が入りました(享年72)。

私自身も、これまでのプロ野球の選手の中で最も好きだった投手でした。

豪快なマサカリ投法から繰り出される速球を武器に、強打者に立ち向かう姿が今でも思い出されますね。

そんな村田兆治さんですが、全盛期の球速は何キロだったのでしょうか?

独特の投球フォームや、通算成績についてもご紹介していきます。

 

村田兆治全盛期の球速は何キロ?

ここでは、村田兆治全盛期の球速は何キロ?と題してお届けしていきます。

変化球に頼らず、真っ向勝負で挑んだ、村田兆治さん。

全盛期の球速は何キロだったのでしょうか?

 

村田兆治の全盛期の球速は?

現役時代の全盛期の球速は152km/hと言われています。

上の動画は1989年のオールスター戦でのものですが、スピードガン表示より確実に速く、うなるようなストレートを投げているのがわかりますね。

表示は148km/hとなっていますが、当時と現在とではスピードガンの計測のポイントが違うようです。

当時は、ピッチャーが投げて、キャッチャーミットに入る寸前の終速を計測していたようです。

ですが、現在は、ピッチャーが投げた瞬間の初速を計測しています。

先程、全盛期の球速は152km/hとの情報をお伝えしましたが、現在の計測方法ならもう少し早いように感じますね。

村田兆治投手の大ファンである私の個人的な思いも載せてお伝えすると、スピードガン表示だけでは表せない球、「本当に気持ちのこもった炎のストレート」を最大の武器として闘われていたんだと思います。

村田兆治投手の場合、一試合一試合、バッター一人一人と真剣勝負するその一球が全盛期なのかもわかりませんね!

 

村田兆治プロフィール

名前:村田兆治(むらたちょうじ)

生年月日:1949年11月27日
没年月日:2022年11月11日(72歳没)
出身地:広島県豊田郡本郷町(現・三原市)
身長:181cm
体重:78kg
血液型:AB型
出身高校:福山電波工業高校(現:近畿大学附属広島高等学校福山校)
ポジション:投手(右投げ、右打ち)

1968年:東京オリオンズに1位指名入団
1969年:6勝を挙げる(うち完投5試合)
1970年:リーグ優勝
1971年:金田正一のアドバイスを元に、「マサカリ投法」を編み出し、12勝を挙げる
1974年:リーグ優勝に大きく貢献
1976年:フォークボールを習得(21勝、最優秀防御率1.82、202奪三振)
1979年:32試合に登板し21完投、230奪三振
1981年:開幕11連勝、19勝を挙げ最多勝
1982年:右肘を故障
1983年:左腕の腱を右肘に移植するトミー・ジョン手術を受ける
1984年:終盤に一軍復帰
1985年:開幕から11連勝、17勝5敗でカムバック賞を受賞(中6日登板でサンデー兆治と呼ばれる)
1989年:通算200勝を達成
1990年:40歳代での二桁勝利を記録し、現役を引退

大手術の後、200勝を達成されているところが脅威です!

この精神力、ストイックさが村田兆治投手の大好きなところですね。

 

SNSでの声は?

 

 

 

SNSでも私と同様に、村田兆治さんのファンの方からは悲しみの声が寄せられていましたね・・・。

 

村田兆治の投球フォームや通算成績もご紹介!

ここでは、村田兆治の投球フォームや通算成績もご紹介していきます。

村田兆治さんの代名詞といえば、独特の投球フォーム「マサカリ投法」ですね。

その投球フォームと併せて、通算成績などもご紹介していきます。

 

村田兆治の投球フォーム「マサカリ投法」とは?

連続写真】村田兆治 圧巻のマサカリ投法/レジェンド剛腕のピッチングフォーム | 野球コラム - 週刊ベースボールONLINE

スゴ技】村田兆治 誰も真似できぬ 豪快マサカリ投法 | 野球コラム - 週刊ベースボールONLINE

「マサカリ投法」とは、画像の様に、打者に対して腰を突き出した後、豪快に右腕を投げ下ろす、独特の投球フォームなんです。

軸足に体の力を為、体重移動とともに腕をしならせ、一気に投げ下ろす。

幼い頃に野球をしていた私には、この独特のフォームで打者に立ち向かう村田兆治さんが、本当にヒーローでした。

投球の基本動作からはかけ離れているように思いますが、足腰の強さ、体感、肩・肘の可動域、村田兆治さんが持つ身体能力の全てを、指先から球に伝える事ができるフォームなんですね。

コーチから何度もフォームを直されていたかもわからないですが、頑固にこのフォームを貫き通して結果を出されてんだと思います。

ストレートとフォークボールだけで、数々のスラッガーを打ち取ったことも恐るべしです。

こんなピッチャーはもう出てこないですね・・・。

 

村田兆治の通算成績は?

勝利 敗戦 セーブ
1968 0 1 0
1969 6 8 0
1970 5 6 0
1971 12 8 0
1972 3 3 0
1973 8 11 0
1974 12 10 1
1975 9 12 13
1976 21 11 4
1977 17 14 6
1978 14 13 3
1979 17 12 2
1980 9 9 2
1981 19 8 0
1982 4 1 0
1983 0 0 0
1984 0 1 0
1985 17 5 0
1986 8 11 0
1987 7 9 0
1988 10 7 0
1989 7 9 0
1990 10 8 2
通算 215 177 33
  • 最多勝利:1回
  • 最終週防御率:3回
  • 最多奪三振:4回
  • 最多セーブ:1回

通算215勝177敗33セーブで、通算勝利は2022年シーズン終了時点で17位です。

また、捕手からのサインでは無く「ノーサイン」で配球を組み立てていた為、1976年から1979年まで4年連続で2桁暴投を記録するという、珍記録もあります。

 

「マサカリ投法」という独特の投球フォームだけでなく、プロ野球史に残る素晴らしい成績も作られた本当に偉大な投手ですね。

 

まとめ

今回は、村田兆治全盛期の球速は何キロ?投球フォームや通算成績もご紹介!と題してお届けしてきましたが、いかがでしたか?

村田兆治さんの全盛期の球速は何キロだったのか?

調べた結果、152km/hとの情報が見つかりましたが、この数字よりは遥かに速い球を投げられていたように思います。

投球フォームや通算成績もについてもご紹介してきましたが、村田兆治さん自身の特徴を最大限に活かせる「マサカリ投法」によって、記憶だけでなく、素晴らしい記録も残された投手だということがわかりましたね。

晩年は、「離島甲子園」という、野球を通じた離島振興活動も行われていた、村田兆治さん。

突然の訃報に驚きましたが、これからも私のヒーローとして心に残る偉大なプロ野球選手であると思います。