女子バレー日本代表歴代エースは誰?身長や最高到達点も調査! | 紆余曲折
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女子バレー歴代エースは誰?身長や最高到達点も徹底調査!

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今回は、女子バレー歴代エースは誰?身長や最高到達点も徹底調査!という記事をお届けします。

各チームの攻撃の軸となるエースアタッカー。

多くの個性的な選手がそのポジションで活躍をしてきましたね。

チームの勝敗を左右するそのポジションで、苦しみ、努力した結果、日本代表チームを担うたくさんのエースが生まれてきました。

これまでのバレーボール女子日本代表のオリンピックでの戦績は、北京で5位、ロンドンで3位、リオで5位と確実に力をつけてきていますね。

では、そんな女子バレーの歴代エースは誰だったのか、またそれらの選手の身長や最高到達点についても調査をしてきましたのでこれからお伝えしていきます。

 

女子バレー歴代エースは誰?

ここでは、女子バレー歴代エースは誰?という内容で書いていきます。

現在、女子バレー歴代エースは、チームの柱である古賀紗理那さんと、海外チームにも通用するスパイクを打てる石川真佑さんですね。

チームの攻撃の柱であるエース。

女子バレー日本代表歴代エースは誰だったのかを振り返っていきたいと思います。

 

女子バレー歴代エース

ご紹介するのは、1964年の東京オリンピック、「東洋の魔女」と言われた時代以降の選手になります。

皆さん、個性のある選手ばかりでした。

 

白井貴子(しらいたかこ)

1970年代を代表する世界的エース。

1972年のミュンヘンで銀、1976年のモントリオールでは金メダル獲得し、2000年に日本人初のバレーボール殿堂入り。

「光攻撃」(現在のBクイック)という必殺技を、当時のセッターである松田紀子さんと完成させたことで知られる。

日本女子バレーボール史において、木村沙織さんとともに歴代最高選手と称されている。

 

横山樹理(よこやまじゅり)

「ジュリ・スマイル」と呼ばれる笑顔と豪快なスパイクで有名。

1976年のモントリオールで金メダルを獲得した際は、白井貴子さんらの控えメンバーとして出場。

その後、白井貴子さんらの中心選手が抜けた新チームのエースとして活躍。

金メダルを期待された1980年のモスクワオリンピックは、西側諸国のボイコットにより日本出場辞退、悲運のエースと呼ばれている。

 

丸山由美(まるやまゆみ) 旧姓:江上由美(えがみゆみ)

現女子日本代表監督の中田久美さんを育て、三屋裕子さんらとともに日立バレー部の黄金時代を築いた。

センタープレーヤーとしては大きくないが、ブロックと軟攻の上手さを武器とした選手。

出場辞退となった1980年のモスクワオリンピックの代表メンバー。

1984年のロサンゼルスで銅メダル、一時引退復帰後の1988年ソウルで4位。

 

大林素子(おおばやしもとこ)

八王子実践高等学校在学中に全日本女子初選出、同年のワールドカップに出場した「元祖スーパー女子高生」。

サウスポーから繰り出されるスパイクと、その容姿からバレーボール界のアイドル的存在となる。

オリンピックには、1988年のソウル、1992年バルセロナ、1996年アトランタの3大会に出場するもメダルの獲得は無し。

世界のレベルが向上し、苦しくなっていた時代の全日本女子のエースアタッカー。

 

成田郁久美(なりたいくみ) 旧姓:大懸郁久美(おおがけいくみ)

1996年のアトランタに大林素子さんとともに選出され、最年少メンバー(20歳)として全試合に出場するが、過去最低の9位に終わる。

国内外の大会で数多くの賞を取り、アジアバレーボール連盟よりアジアベストプレーヤーにも選出された全日本のエースアタッカーで小柄ながらもワンタッチを狙うスパイクと安定した守備が特徴。

2000年のシドニー最終予選では、唯一のオリンピック経験者としてチームを引っ張るが、世界のレベルが上がる中、史上初めて出場権を逃す。

2001年の一時引退後、2004年に安定した守備力を買われ、リベロとして全日本に復帰し、アテネへ出場する。

2000~2001年Vリーグで記録したサーブレシーブ成功率87.4%という驚異の数字でその守備力の高さがわかる。

 

高橋みゆき(たかはしみゆき)

2000年に全日本に選出されるが、史上初めて出場権を逃すという経験をする。

2002年より全日本の主将となり、チームの中心となって活躍するが、世界大会で過去最低の13位、アジア大会では中国、韓国に敗退したことから柳本晶一監督が率いる全日本に日本バレーボール協会から「代表に呼ぶな」とも言われた。

全日本女子バレーボールの苦しい時代を経験したが、相手ブロックを巧みに抜くスパイクと高い守備力で柳本ジャパンの中心選手となり、2004年のアテネ、2008年の北京に出場。

明るいキャラクターでチームを盛り上げ、「日本の元気印」と呼ばれた。

 

栗原恵(くりはらめぐみ)

三田尻女子高校時代にで春高バレーで優勝、大山加奈さんとともに女子バレーに「メグカナ」ブームを巻き起こし、「プリンセスメグ」の愛称で親しまれた。

大山加奈さんとの高身長10代コンビで、ワールドカップ2003で5位、全日本女子復活の立役者となる。

2004年のアテネでは思うように活躍が出来ず、2007年からは全日本に復帰、エースとしてチームを2008年の北京出場に導いた。

2009年には眞鍋ジャパンの副キャプテンとして代表に選出されるが、度重なる怪我により、全日本女子が28年ぶりに銅メダルを獲得した2012年のロンドンに出場することが出来なかった。

 

木村沙織(きむらさおり)

名門高として知られる成徳学園高校(現・下北沢成徳高等学校)時代の2003年春高バレーで優勝、同年に全日本代表から強化合宿に招集、9月のアジア選手権に出場する。

当初はセッター登録であったが、レフト・ライト・センター・セッター・リベロどこでも守れるオールラウンダーとして柳本ジャパンに選出、2004年のアテネ最終予選初戦のイタリア戦でスタメン出場し勝利する。

その後、2008年の北京に選出、2012年のロンドンではエースとして活躍し、銅メダルを獲得。

2010年~2012年はスパイク・サーブ・レシーブ全てにおいてトップクラスの成績を残し、世界のエースとして覚醒する。

2013年からの長いスランプを乗り越え、2016年のリオにも出場。

勝負どころで高い得点能力を発揮する全日本女子最高のエースアタッカー。

 

黒後愛(くろごあい)

木村沙織と同じ下北沢成徳高等学校で活躍。

2014年6月には東京オリンピックの強化選手であるTeam COREに選出される

その後、2015年には全日本ユース代表に選出。

同年8月に開催された第14回世界ユース女子選手権大会に出場し、ベストサーバーに選出。

国内大会では2015年の春高バレーでベスト8、2016年の同大会ではMVPを獲得する。

同年5月に開催された第65回黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会では、若鷲賞を受賞した

同年夏のインターハイ、ベスト6及び、優勝選手賞を獲得。

2017年の春高では、下北沢成徳の大会二連覇に大きく貢献してMVPに輝き、同月、東レアローズへ入団。

同年3月、全日本メンバーに登録され、2017年ワールドグランドチャンピオンズカップの出場メンバーに登録された

 

古賀紗理那(こがさりな)

強豪校である、熊本親愛女学院高校出身で、在学中はキャプテンを務める。

2012年10月、高校1年生のときに「第9回アジアユース選手権」の代表メンバーに選出され、MVPとベストスコアラーを同時に受賞する活躍、日本チームの4連覇に大きく貢献する。

2013年1月、「第65回全日本バレーボール高等学校選手権大会」で同学ベスト4進出に大きく貢献し、優秀選手賞を受賞。

2013年4月、高校2年生のときに日本代表メンバーに初選出され、同年5月のヨーロッパ遠征に参加。

2013年6月7日、「イタリア4カ国対抗国際女子バレーボール大会(ALASSIO CUP2013)」において途中出場を記録し、若干16歳にして日本代表デビュー。

2013年10月、メキシコのティフアナおよびメヒカリで開催される「第1回世界U23女子バレーボール選手権」の代表メンバー12名に、チーム最年少の17歳で選出。

2014年6月、「東京オリンピック」の強化指定選手である「Team CORE」のメンバー8名に選出。

2015年1月23日、NECレッドロケッツへの入団。

その後、V・プレミアリーグで数々の賞を受賞し、2021年6月30日、「2020年東京オリンピック」の代表メンバー12名に選出される。

現在行われている「世界バレー」では日本代表のキャプテンを務める。

 

石川真佑(いしかわまゆ)

下北沢成徳高等学校に進学し、高校1年からレギュラーとなる。

第69回全日本バレーボール高等学校選手権大会では、決勝で就実高等学校をセットカウント3-0で倒し、全国制覇を達成。

高校3年で、主将に就任、平成30年度全国高等学校総合体育大会では、2年ぶり3度目の大会制覇を達成。

2019年1月16日、V・プレミアリーグの東レアローズに入団し、同年にバレーボール日本女子代表として初登録。

2019年、日本代表監督の中田久美さんに評価されてA代表に抜擢、ワールドカップメンバー入りし、大会ではアメリカ女子代表戦と大韓民国女子代表戦でスターティングメンバーに起用され、いずれの試合でもチーム最多得点を挙げる。

2021年には東京オリンピック日本代表の最終メンバーに選ばれ、兄・石川祐希さんと共に2020東京五輪に出場、全5試合にフル出場。

2023年4月30日付でチームを退団、セリエA(イタリア1部リーグ)・イル・ビゾンテ・フィレンツェへ加入、2023年シーズンからは兄妹揃ってイタリアでプレーしている。

 

日本代表歴代エースを振り返って来ましたが、それぞれが個性と最高の武器を持つ、まさしくその時代のエースと称される選手ばかりでしたね。

 

女子バレー歴代エースの身長や最高到達点も徹底調査

ここでは、女子バレー歴代エースの身長や最高到達点も徹底調査、という内容で書いていきます。

個性豊かな全日本女子の歴代エースでしたが、身長や最高到達点はどのくらいなのでしょうか?

各選手ごとにお伝えしていきます。

 

最高到達点とは

ジャンプしたときに腕を上に一番高く伸ばした指先の高さのこと。

各選手がジャンプをした状態でどのくらいの高さになるかの目安、「打点の高さ」を示すもので、助走をつけて飛んだスパイクジャンプの最高到達点と、助走なしでその場で飛んだブロックジャンプの最高到達点の2種類がある。

 

女子バレー歴代エースの身長と最高到達点は?

身長の高さとジャンプ力で個人差はありますが、歴代エース場合はどうだったのでしょうか。

 

白井貴子(しらいたかこ)

身長 : 180cm

最高到達点 : 情報なし

この時代の女性としてはかなりの高身長ですね。

現在の女子の最高到達点の平均が296cmですので、それは軽く超えていたのではないかと思います。

 

横山樹理(よこやまじゅり)

身長 : 174cm

最高到達点 : 298cm

174cmという身長で、最高到達点の平均値を超えているのでかなりのジャンプ力ですね。

 

丸山由美(まるやまゆみ) 旧姓:江上由美(えがみゆみ)

身長 : 175cm

最高到達点 : 304cm

横山樹理さん同様、最高到達点の平均値を上回る数字で、3mを超えているのは驚きです。

 

大林素子(おおばやしもとこ)

身長 : 182cm

最高到達点 : 312cm

身長もこれまでの選手より高いですが、最高到達点は歴代エースの中でナンバー1です。

角度のあるスパイクを打てたことが納得できます。

 

成田郁久美(なりたいくみ) 旧姓:大懸郁久美(おおがけいくみ)

身長 : 173cm

最高到達点 : 299cm

この身長で最高到達点が299cm、しかも守備力も高いとなると身体能力の高さが想像できますね。

 

高橋みゆき(たかはしみゆき)

身長 : 170cm

最高到達点 : 285cm

他の選手と比べると低い最高到達点です。

この高さで世界の壁を抜いていたということから技術力の高さがわかります。

 

栗原恵(くりはらめぐみ)

身長 : 187cm

最高到達点 : 305cm

全日本女子バレーを復活に導いた世界に通用する高さです。

 

木村沙織(きむらさおり)

身長 : 187cm

最高到達点 : 305cm

この高さを生かしつつ、相手を見て多彩な攻撃ができる。

やはり歴代ナンバーワンのエースアタッカーですね。

 

黒後愛(くろごあい)

身長 : 180cm

最高到達点 : 306cm

身長はそれほど高くはないが、このスパイクの高さは驚異。

身体能力が素晴らしい日本代表のエースアタッカー。

 

古賀紗理那(こがさりな)

身長 : 180cm

最高到達点 : 305cm

スパイクの高さと、相手コートのスペースを的確に狙うコントロールが武器。

選手をまとめるキャプテンシーも兼ね備えた、現日本代表のエースアタッカー。

 

石川真佑(いしかわまゆ)

身長 : 174cm

最高到達点 : 300cm

ブロックアウトを確実に取れるスパイクの正確さと、力強さが武器。

古賀紗理奈とともに日本代表チームをけん引する。

 

まとめ

今回は、女子バレー歴代エースは誰?身長や最高到達点も徹底調査!、という内容でお届けしてきましたがいかがでしたか?

女子バレーの歴代エースを調査していくと、世界と戦う為に色々な物を背負い、苦労されてきたことがよくわかりました。

バレーボールは身長差、最高到達点の違いでプレーに大きな差が生まれる為、それをカバーするための自分にしかない技術力が必要です。

歴代のエースも自身の身体的特徴を理解し、得点につなげる為の技をしっかり持った方達ばかりでしたね。

現在、全日本の中心となって戦われている、古賀紗理那さん、石川真祐さんが今後どのような活躍をされるのか。

次世代のエースの戦う姿を観れるのがとても楽しみです。