今回は、造田博が現在も死刑執行されない理由は何?生い立ちについても調査!と題してお届けしていきます。
造田博(ぞうた ひろし)、聞き覚えのある方もいらっしゃるかと思いますが、1999年9月8日に発生した「池袋通り魔事件」で逮捕・起訴された犯人で、2007年に死刑が確定している死刑囚です。
その造田博の半生が、2022年5月24日に「ザ!世界仰天ニュース」で紹介された時も話題になっていましたね。
関連ニュースが報道されるたびに、関心度の高さがわかりますね。
2007年に死刑が確定した、造田博死刑囚。
25年経った現在でも、死刑が執行されていない理由は何なのか?
彼の生い立ちについても調査していきます。
造田博が現在も死刑執行されない理由は何?
「私は変な人(これは変な人のことです)は刑法や法律とかでミキサー(食べ物をどろどろにするものです)に永遠に入れっぱなしにするのがいいと思います」
【池袋通り魔殺人事件(1999)】、造田博 pic.twitter.com/rils12526o
— ◆マジキチ犯罪者の名言◆ (@mazikiti_hanzai) May 22, 2022
ここでは、造田博が現在も死刑執行されない理由は何?と題してお届けしていきます。
事件から24年、死刑確定から26年、未だに造田博死刑囚の死刑が執行されない理由は何なのでしょうか?
造田博の死刑が執行されないのはなぜ?
結論からお話をすると、造田博死刑囚の死刑が執行されない理由は、本人の現在の健康状態にあるようです。
実は、死刑執行の条件として、死刑囚の状態が「心身共に健康である」という条件があるようです。
造田博死刑囚は、現在、東京拘置所に収監されていますが、噂によると拘置所内で扱いにくい死刑囚のトップであると言われています。
- 一言も発さない
- 動くのは食事とトイレの時のみ
- トイレも流さない
- 着替えもしないので、シャツは黄ばんでいる
- 匂いが酷い
このような状態なので、現在も死刑執行が延期されているということです。
死刑確定から執行までの期間は?
刑事訴訟法では、死刑の執行は判決の確定後、原則として6か月以内に行うよう定められているようです。
ですが、これは「訓示規定である」と理解するのが正しいようで、「法律に規定されているものの、必ず守らなければいけないというものではない」とする考えのようです。
実際に、執行までの期間が短かったのは1年4ヶ月、逆に長かったのは18年5ヶ月とバラバラで、執行までの期間を調べると平均5年間となっているようです。
法律で決まっている「6ヶ月以内に執行」から考えると長すぎますが、罪状も死刑囚の状態も様々ということで、このようになっているようです。
死刑執行の順番は?
法務省の回答としては
「法務大臣において、関係記録の内容を十分に精査させたうえで、刑の執行停止、再審または非常上告の事由の有無、恩赦を相当とする情状の有無等について慎重に検討し、これらの事由等がないと認めた場合に死刑執行の命令が発せられる」
というものが常に返って来るようで、順番の決め方についての詳細は発表されていないようです。
造田博の生い立ちについても調査
明日の仰天ニュースは池袋通り魔の造田博やるってよ
これは見なきゃな〜 pic.twitter.com/8Q9qLUdm4E— いつもあしたから (@ADHD_MACHINE) May 23, 2022
ここでは、造田博の生い立ちについても調査していきます。
東京拘置所の造田博死刑囚の現在の状態や、生い立ちはどのようなものなのでしょうか?
造田博の生い立ち
大工の父親(稔)と、ミシンの内職をする母親(陽子)の間に次男として生まれる。
家族は4歳上の兄を含め4人。
造田博死刑囚は、地元でも進学校として知られている県立倉敷天城高校に進学します。
中学3年生に成ってから必死で勉強を頑張り、どうにかしてこの高校に合格することが出来たようです。
ですが、その後、祖父からの遺産を受け取り、働かなくなった両親がギャンブルに明け暮れ、保険外交員に転職していた母親も身に着けるものが派手になり、やがて働かなくなったようです。
これにより、困窮した生活を送ることとなり、高校を中退してしまいます。
高校を中退した造田博死刑囚は、弁当屋でのアルバイトを始めます。
その頃の両親は借金取りから身を隠す為に日中は自宅から離れ、深夜になってから自宅へと帰宅する毎日という生活。
そして、1993年11月、アルバイトから帰った造田博が自宅で目にしたのは、家財道具が持ち出された後のサッパリとした部屋だったのです。
この時の喪失感は、後にも尾を引いているようですね。
その後は、大学生となって広島で一人暮らしをしていた兄を訪ね、広島県福山市でパチコン店、造船所塗装工などの仕事をしますが、どれも長続きはしなかったようです。
愛知や京都、東京と職も住所も点々とし、14回も転職をしたといいます。
これらのことから、造田博死刑囚には徐々に精神的な異常が見られ、自分の苦労が報われないことに不満を持っていたようです。
造田博の現在
先程も少しお伝えしましたが、現在の造田博死刑囚の様子は
- 一言も発さない
- 動くのは食事とトイレの時のみ
- トイレも流さない
- 着替えもしない
という状況、統合失調症が原因で廃人のようになっていると言われています。
当時の弁護人から、「被告人(造田)は妄想に取りつかれていた」と主張されていました。
その主張の通り、事件前から造田博死刑囚は、意味不明な手紙を何度も外務省に送りつけていたという事実もあります。
事件の内容から、これらを踏まえても許されることではありませんので、被害者やその遺族の心情も考慮し、死刑囚として自分に向き合わせる為の環境の改善も望まれますね。
造田博の事件前のトラブル
真面目に働いていた造田博死刑囚ですが、仕事が長続きせず、次第に所持金が底を突いていきます。
広島にいた頃に万引きを繰り返し、その都度、兄が謝罪をしていたようで、コンビニで万引きをしたナイフを所持していたことによる銃刀法違反のの際も、兄が罰金を建て替えていたようです。
1997年頃からは、外務省や自分の兄に、難解な内容の手紙を何度も送ったことも。
更には、思い込みにより、小学生の時に好きだった女性へのストーカー行為、挙句の果てにはその女性がアメリカに留学していることを聞きつけて、アメリカに行くなどの奇行を繰り返しています。
造田博が事件を起こした経緯
1994年4月24日から、東京都足立区にある新聞販売店で真面目に働いていた造田博死刑囚。
一度だけ遅刻をしたことにより、上司から携帯を持つように言われます。
1994年9月3日、その電話にかかってきた無言電話により激昂し、「池袋通り魔事件」を起こしたと言われていますね。
当時、働いていた新聞販売店に、造田博死刑囚が嫌っている人物がおり、その人物からの電話だと思い激怒したとのこと。
9月4日に包丁やハンマーを購入し、犯行の準備をしていたが、4日間はカプセルホテルに泊まります。
そして、9月8日、池袋サンシャイン通りにて無差別殺人の犯行を行い、逮捕されました。
まとめ
#今日のトリビア
1999年、午前11時35分豊島区東池袋で8人を殺傷する通り魔事件が起きた 犯人は造田博23歳 部屋に「ワシ以外のアホ全部殺す」と貼り紙をし公機関に「小汚い者の生きる権利を剥奪する」と言った手紙を数百通出していた 現在も死刑囚として収監されているが全く反省はしていない pic.twitter.com/xGifLnegt6— 北斗辛麺ジャギ (@Ivory_0214) September 7, 2021
今回は、造田博が現在も死刑執行されない理由は何?生い立ちについても調査!と題してお届けしてきましたがいかがでしたか?
造田博死刑囚の死刑が現在も執行されないのは、本人の健康状態が異常で、廃人のようになっているということが理由であるようです。
生い立ちについても調査しましたが、どちらを考慮したとしても、事件の大きさ、社会に与えた影響を考えると、許せるものではありませんでした。
後から経緯を辿ると、その原因や理由が少しは見えて来ますが、無差別殺人に至る本人の感情などは推し量れず、防ぐことができないのが現状ですね。
平成で起きた無差別殺人事件の中で、最も恐ろしい事件なのかもわかりません。