大谷翔平はベーブルースの生まれ変わり?成績の比較や共通点を調査! | 紆余曲折
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大谷翔平はベーブルースの生まれ変わり?成績の比較や共通点を調査!

野球
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今回は、大谷翔平はベーブルースの生まれ変わり?成績の比較や共通点を調査!、という内容でお届けします。

現在、二刀流としてメジャーで数々の記録を塗り替えている大谷翔平選手。

2022年8月10日、アスレチックス戦に「2番・投手」でスタメン出場。

シーズン19度目となる登板で、6回91球5奪三振、無失点の好投で自身メジャー5年目で初の10勝をマークしました。

結果、「10勝&25本塁打」となり、1918年に「野球の神様ベーブ・ルース」(当時レッドソックス13勝、11本塁打)が成し遂げて以来、メジャーリーグでは104年ぶりとなる「2ケタ勝利&2ケタ本塁打」の偉業を達成しました!

打者としても、投手としても素晴らしい成績を叩き出し、ベーブルースの生まれ変わりか?と表現されることが多いですね。

では、なぜ大谷翔平選手がベーブルースの生まれ変わりと表現されるのか、その理由を成績の比較や共通点から調査していきたいと思います。

 

>>大谷翔平はアメリカでモテる?

 

大谷翔平はベーブルースの生まれ変わり?

ここでは、大谷翔平はベーブルースの生まれ変わりか?、という内容で書いていきます。

大谷翔平選手が野球というスポーツを愛し、楽しみ、アメリカ中のファンを熱狂させるという点では、ベーブルースの生まれ変わりといって良いのかもわかりません。

ですが、大谷翔平選手は、野球史においてさらに新しい伝説を作っていく、別次元の選手だと思います。

 

大谷翔平はベーブルースの生まれ変わりか?

2022年8月10日に成し遂げた記録だけではなく、様々な共通点があることがわかりました。

 

野球を始めた年齢

大谷翔平選手もベーブ・ルースも、野球を始めた年齢は7歳でした。

大谷選手は「小学2年生(7歳)の時、友だちから誘われたのがきっかけで野球を始めた」。

ベーブルースは「7歳の時にマシアスさんからボールの打ち方や投げ方、守備の仕方を教わった」。

これは、不思議な縁ですね。

 

大谷選手のエンゼルス・スプリングキャンプ初参加日とベーブ・ルースの誕生日

大谷選手がエンゼルスのスプリングキャンプに初参加した日が2月6日

ベーブ・ルースの誕生日は1895年2月6日

ベーブ・ルースがこの日に大谷選手を導いたのではないかと言われています。

 

ヤンキースvsエンゼルス、悪天候による代替試合

2021年7月1日にヤンキースタジアムで予定されていた、ヤンキースvsエンゼルスの試合が悪天候のため中止、8月16日に振り替えられました。

代替試合となった8月16日はベーブルースの命日で、このことも話題となりました。

 

その他にも、

  • 大谷選手の日本ハム時代の背番号は「11」、エンゼルスでの背番号は「17」、マシアスさんの誕生日は7月11日「7」「11」が入っている
  • 大谷選手がMLBでア・リーグMVPを獲ったのが27歳、4月27日が「ベーブルースの日」でどちらにも「27」が入っている

 

これらの事が偶然ではなく、必然的に導かれたと噂され、「大谷翔平選手はベーブルースの生まれ変わり」という話題に拍車がかかっています。

 

ベーブ・ルース

  • 生年月日:1895年2月6日
  • 没年月日:1948年8月16日(53歳没)
  • 身長:約188 cm
  • 体重:約97.5 kg
  • ポジション:投手、外野手
  • 生涯通算成績:714本塁打(本塁打王12回)、2,213打点、

 

私が野球を始めた小学3年生の頃に、母から買ってもらった偉人伝「ベーブ・ルース」

幼い頃から素行が悪く、矯正学校に入れられるような少年が、野球と出会い、後に大記録を打ち立てる選手になっていくという話でした。

悪さばかりをしていても、打ち込める何かが見つかればこんなに偉大な人間になれるんだと、幼いなりに考えたのを思い出します。

そんな昔を思い出させてくれたのが、メジャーに渡った日本人選手であることに本当に衝撃を受けました。

ベーブルースの生まれ変わりではなく、日本人メジャーリーガー大谷翔平伝説をこれから作り上げてもらいたいです。

 

大谷翔平とベーブルースの成績の比較や共通点を調査

ここでは、大谷翔平とベーブルースの成績の比較や共通点を調査、という内容で書いていきます。

大谷翔平選手とベーブルースの成績の比較ですが、100年前ということでバットやボールの道具の質、選手起用法などがかなり違うので、公正な比較にならない部分もありますが、数字の比較で調査したいと思います。

 

大谷翔平とベーブルースの成績の比較

ベーブルースは元々は投手としてスタートし、1915年から1917年の三年間は、ボストン・レッドソックスの投手として活躍していました。

1917年に投手としての打率が.325、長打も放っていたため、1918年から二年間は「二刀流」という働きをします。

ここでは、ベーブルースが実際に「二刀流」として活躍した、1918年1919年の2年間との比較とをしていきます。

 

大谷翔平 2021年成績(9/23現在)

2021年:9勝2敗、防御率3.18、156奪三振
639打席(537打数)、138安打、打率.257、46本塁打、100打点

ベーブルース 1918年~1919年成績

1918年:13勝7敗、防御率2.22、40奪三振
380打席、打率.300、11本塁打、 66打点

1919年:9勝 5敗、防御率2.97、30奪三振
542打席、打率.322、29本塁打、114打点

この様に比較すると、大谷翔平選手の成績が、驚異的な数字であることを改めて実感しますね。
ですが、正確に比較することはやはり難しいようです。
先程も少しお話したように道具の質の違い、特にボールについては大きな差があったようで、ベーブルースの時代はデッドボール時代と呼ばれ、飛ばないボールが使用されていたということ。
また、大谷翔平選手は登板時以外にはほぼDHで出場しており、疲労度が違うなどの、簡単には比較できないポイントもあります。
ただ、大谷翔平選手がシーズンのスタート時から「二刀流」として出場していたこと、現時点で盗塁数が22個あることなど、総合的に考えると、誰とも比較できない異次元の選手であることがわかりますね。

番外編

現在ではMLBの公式記録として認められていますが、アメリカには過去にニグロリーグ(黒人リーグ)というものが存在していました。

このニグロリーグは、経済的な理由で1チーム18人~20人で構成されていたので、「二刀流」の選手は珍しくなかったようです。

大谷翔平選手が「二刀流」として活躍し、ベーブルースと比較されたことにより、ニグロリーグで二刀流を体現した選手たちにもスポットが当たりました。

  • ブレット・ジョー・ローガン
    228試合に登板し、130勝、防御率2.66
    728試合に出場し、打率.336、51本塁打、111盗塁
  • マーティン・ディーゴ
    ニグロリーグ459回を投げ、通算の防御率3.28
    打者としてはスイッチヒッターでOPS.916
  • レオン・デイ
    ニグロリーグのオールスターに7回登板
    1942年にはニグロリーグ記録となる18奪三振

これも、大谷翔平選手の活躍によるものですね。

大谷翔平とベーブルースの共通点

ここまで色々と調査をしてきましたが、二人の共通点は多くありません。

幼少期の頃の生活も違いますし、性格も謙虚な大谷翔平選手と、派手好きなベーブルースで共通点がありません・・・・。

大きな共通点は3つ

  • 「二刀流」の選手として野球を楽しむこと
  • 野球というスポーツを心から愛していること
  • ファンをとても大切にしていること

この部分ですね!

家庭環境も性格も全く違う二人の中で、この部分はお互いに大切にしている部分であることがわかりました。

投げる・打つ、両方のパフォーマンスで自身がプレーを楽しみ、成績だけだなく野球というスポーツ自体をリスペクトする、そしてその行動によりファンを魅了し、大切にする。

数少ない共通点ですが、この部分がアメリカ中のファンを熱狂させている最大の要因ですね!

まとめ

今回は、大谷翔平はベーブルースの生まれ変わりか?成績の比較や共通点を調査、という内容でお届けしてきましたがいかがでしたか?

大谷翔平選手は、野球というスポーツを愛し、楽しみ、アメリカ中のファンを熱狂させるという点で、ベーブルースの生まれ変わりと言えそうですね。

成績の比較や共通点も調査しましたが、それだけでは語れない異次元の活躍を、今後もしてくれることを期待し、応援していきたいと思います。

>>大谷翔平がアメリカでモテる理由は?